LIBERTY
TRABELERS
Episode2 第9話
動き出した魔物
 
 
「さあ、飲んで。その方が体が楽になると思うわ」
 
 オフェリアは、そのにっこりと微笑んだニーム先生の言葉を、ある意味強迫めいているように感じた。
 
 オフェリアは、ニーム先生から薬の入ったコップを受け取る。
 オフェリアは、その薬の入ったコップを両手で持ち、その水面を上から覗き込んだ。
 その水面は、上から照らされる魔電灯の明かりに反射し、鈍い光を放っていた。
 オフェリアの、そのコップを握る手が少し汗ばでいる。
(飲めた物じゃないわよ、これって)
 オフェリアは、遊び半分で少し口に入れた薬の味を思い出した。
 あれは、願わくば二度と口に入れたくない味だ。
 口に含んだ瞬間、それに体の全身が拒否反応を示した。
 ザラリとした舌の感触がした瞬間、全身に何か得体の知れない生き物が這い回るような感覚が走り、それが喉元を通り過ぎた時、オフェリアは口を押さえ、迷わず洗面所に向かってダッシュを掛けていた。
 こんな物をどうしてメアリは平気で飲んでいられるのかが理解出来なかった。
 オフェリアは、浮かない顔でメアリの方を見る。
 メアリは、オフェリアの何かを訴えるような眼差しに気付き、不思議そうにオフェリアの顔を覗き込んだ。
「どうしたの? あっ、わかった」
 メアリは、そういうと少し真剣な表情になる。
「ダメだよ、好き嫌いしちゃ。お薬、苦いかもしれないけど、それさえ少し我慢しちゃえば後は平気だし、すぐ慣れるから。大丈夫よ」
 メアリは、そういって無邪気に笑いかけてきた。
(慣れる? これを?)
 オフェリアのコップを握る手が、さらに汗ばんだ。
 薬の注がれたコップを持って固まっているオフェリアを、ニーム先生が困ったように優しく声を掛けた。
「オフェリアさん、良薬は口に苦しって昔からいうの。だから、一気に口の中に流し込んでしまえば、苦いのはそこで終わるから。そうだ、それを飲むことが出来たらキャンディーをあげてもいいわよ」
 そういうと、ニーム先生は、羽織った白衣のポケットからキャンディーを幾つか取り出した。
 オフェリアは、それに少々目線を鋭くする。
(これを一気に飲み干せば……苦しみは終わる)
 オフェリアは、意を決したように薬に目線を戻した。
 別にキャンディーが欲しかったわけではない。
 ただ、どうせそれを飲まなくてはならないのなら、さっさとこの状況を終わらせたかった。
 目線を落とした先に見えるのは、コップの中に佇む静かな水面。これを一気に飲み干せば、それで終わる。
 オフェリアは、意を決し、それに視線を集中する。
 その時、その水面が小さく波風を立てた。
 そんな風に、オフェリアには見えた。
 その刹那、ガラスコップの底の方から無数の泡が吹き出した。それは、もの凄い勢いでコップの底から噴射し、それは中の液体を泡で白く埋め尽くす。
「っ!」
 
 カッシャーン
 
 ガラスコップが床の上で砕け散る音が響く。
 突然の薬の異変に驚いたオフェリアは、コップを床に取り落としていた。
「大丈夫っ、オフェリア!」
 とっさに、メアリがオフェリアにしがみつく。
 そして、異変の起こったコップに怯えた視線を送った。
「……これは?」
 ニーム先生は、割れたコップに恐る恐る手を伸ばした。
「ダメ! 先生っ」
 オフェリアは、その異変に気付き、ニーム先生に鋭い声を掛ける。
 オフェリアの声に、ニーム先生の手の動きが止まる。
 その時、床に零れた薬が青い炎を上げて発火した。
「燃えてる!」
「慌てないで」
 小さな悲鳴を上げるメアリを、オフェリアは静止する。
 そして、その炎に向けて自分の手を翳した。
『精霊よ!』
 力に呼びかけた言葉が働き、薬から上がった炎は鎮火した。それはそのまま凍り付き、ただの氷の塊と化す。
「そっかあ、オフェリアは水精霊の加護を受けてたっけ」
 メアリはそういって、胸を撫で下ろした。
「……大した魔法じゃないわよ」
 オフェリアは、そっけなくそういった。
「でも、魔法が扱えない私からしたら、とても凄いことよね、お陰で助かったわ。だけど?」
 ニーム先生は、安堵の表情を見せた後、眉を潜めた。
「だけど、発火するような材料で調合した覚えはないのだけど? 何か、間違えて入れたのかしらね?」
「・・・・・・」
 オフェリアは、その発言に少々危ないなものを感じ、少し顔を引きつらせる。
 ニーム先生は、魔法能力者ではない。
 この学校で保健医としてやってきた研究者兼お医者さんと、初めてみんなの前に自己紹介した時に名乗った。
 その大人の色香をまとった外見と、優しい性格から生徒達からの人気は高い。
 それは、どんな話も分け隔てなく耳を傾け、親身になって話しをしてくれる姿勢からだ。
 特にメアリと、フウマは、ニーム先生に執心している。
 フウマなんか、自ら保健係を引き受け、暇があれば保健室に入り浸っていた。
 だが、オフェリアは、この先生が苦手だった。
 それは、この先生が話をする度にオフェリアの頭を度々撫でるからだ。
 オフェリアは、頭を撫でられる度に、小さな子供の扱いをされているような感じがして苛立っていた。
 そして、頭を撫でられて喜んでいるメアリ達の気持は理解できないし、解りたいとも思わなかった。
 オフェリアは、黙ったまま立ち上がる。
「オフェリア?」
「オフェリアさん?」
「もう大丈夫です」
 オフェリアは、二人に笑顔を見せた。
 
 カラン カラン カラーン
 
 その時、丁度始業のベルが鳴る。
「教室の方に戻らないと」
「そうね、私も戻らなきゃっ」
 メアリも腰を掛けていたベッドから立ち上がる。
「そう……仕方ないわね。気分が悪くなったら、いつでもいらっしゃいね」
 ニーム先生は、心配そうに顔を曇らせながら、オフェリアと、メアリにそういった。
 
 
「メアリ、聞きたいことがあるんだけど?」
「なあに?」
 教室に向かう廊下で、オフェリアはメアリに、その話を切りだした。
「……どうして、私があの薬を飲もうとした時……あんなのことしたの?」
「何のこと?」
 メアリは、不思議そうにオフェリアの顔を見た。
「メアリ、確か魔法属性は火精霊の加護を受けていたわよね?」
「そうだけど、それがどうしたの?」
 オフェリアは、メアリの無邪気な様子に眉を潜めた。
「あの時、誰かが火の魔法を発動させて、私の持っていたコップの中に入っていた薬を沸騰させたの」
「えっ?」
 メアリは、そのオフェリアの言葉に目を見ひらいた。
「で、でも、あの時そんな魔法力の気配なんか?」
 オフェリアは、無言でメアリに片手の掌を見せた。
「どうしたの、その手? まさか……それって?」
 その掌は、赤く腫れ上がっていた。
「そう、火傷したとしか考えられない。火属性の魔法で」
「そんな!」
 メアリは、その言葉に驚きのあまり目を見開いた。
「わかってるわ、メアリは私にそんなことしないって。さっき聞いたのは、ただね……」
「そんな事より、大丈夫なの?」
「え?」
 オフェリアは、メアリのその真剣な眼差しに戸惑った。
「その手! 痛いの?」
 メアリのその手は、オフェリアの手に恐る恐る触れた。
「……あ、ああ、それなら自分で小さな水魔法を使って冷やしてるから心配しなくても大丈夫よ。こんな時ほど、自分が魔法を使えて良かったって思うこともないわ」
 オフェリアは、メアリに笑って見せた。
「そう、よかったぁ」
 メアリは、ホッとしたように胸を撫で下ろした。
 オフェリアの得意とする水属性の魔法は、オフェリアが元々水の加護を受けているせいで、簡単なものであれば、魔法を呪文の詠唱無しでも使える。
 
 魔法とは、地水火風の四元からなり、この世界の自然界を司る地精霊、水精霊、火精霊、風精霊達の力を借りて起こす魔術のことをいう。
 この世界で自然界の意志とされるこの四精霊は、人間にその力の一部を与え、人間はその力をとある法則に置き換えて、その力を使う。その精霊の力を人間式の法則に置き換え、制御を加えた物を魔法と呼ぶのだ。
 だが、魔法は誰でも使えるわけではない。
 精霊達の力を引き出す能力が必要で、それを持つか持たないかは生まれつきの才能といっていい。
 そして、魔法を使える者には、それぞれ加護属性というものがある。それは、個人それぞれに相性のいい精霊というものがあり、その精霊の属する性質の魔法は、その形式や、魔力の変換無しでも使うことが可能なのだ。
 先程、オフェリアが大した呪文の詠唱も無しに使った氷の魔法は、オフェリアが水精霊と相性がいいために出来た技だった。
 
「それより、あの時はメアリは……何か見た?」
「あの時?」
 オフェリアは、メアリが落ち着いたのを確かめると、その話題を切り出した。
「さっき、教室で倒れる直前、窓の外をじっと見てたでしょう? あの時、何かを見たんでしょう?」
「窓の……外?」
 メアリは、少し考える様に目を閉じ、そしてオフェリアの目を見ながら、はっきりと首を横に振った。
「何も見なかった。ただ……声がしたの」
「声?」
 メアリは、首を縦に振る。
「あの時、窓の外から声が聞こえたような気がして、その声がした方を見たの。そうしたら、その声が段々と大きくなっていって、そしたら、頭が段々と痛くなって……それから先のことは覚えてないの。もしかして、オフェリアも聞いたの?」
 メアリは、オフェリアに驚きの眼差しを向けた。
 だが、オフェリアは首を横に振った。
「私には、そんな声は聞かなかった。多分、他のみんなも聞こえなかったんじゃないかしら。けど、私もその後、酷い頭痛がしてね。それからの事は覚えてないの」
「そんな!」
 メアリは、オフェリアの返答に落胆の色を浮かべる。
「あんな大きな頭に響く声が、聞こえなかったて……でも、私には聞こえたの。でも、どうして私だけ……?」
 メアリは、頭を抱えて考え込んだ。
「だけど、それって一体どんな声だったの?」
「……よく、わからない」
 メアリは、困惑の色を浮かべながらいう。
「男の人の声とか、女の人の声とかもわからない。大人の人なのか、子供の声なのかもわからない。ただ……得体の知れない声だけが頭に響いたの。人間の声なのかもわからない……それが」
 オフェリアは、そのメアリの言葉に、しばし絶句する。
「……人間の声、じゃないって?」
 そして、ある言葉が脳裏に浮かんだ。
「多分……きっと、あれが魔物の声なのよ!」
 メアリは、そう言い放った。
 
 魔物
 
 誰も姿を見たことがない噂だけの存在。
 オフェリアは、今までその存在を信じた事はなかった。
「……だけど、その声、メアリに何ていってたの? そんな凝った演出までして」
 風の魔法に、特定の相手にだけ声を聞かせるものがあったはず。オフェリアは、それを思い出した。
 それは、空気に声を振動させ、その空気振動を操り特定の相手だけにその声を伝えるものだ。
 魔法を使える者なら比較的簡単に使うことが出来るポピュラーな魔法でもある。それを使えば、メアリにそのような事をするのも可能なはずだ。
 
「我 混沌の御使いたる者
 汝 我が混沌を望む者か
 なれば 汝 我が声に答えよ
 その深淵に眠りし願い 我に示せ
 なれば 我 汝の声に耳を傾けん
 汝の願い その全てを叶えよう
 その沈黙の喜びを持って」
 
 メアリは、恐る恐るその言葉を口にした。
「何なの、それ? 何かの呪文?」
「わからない」
 メアリは、そういって首を横に振った。
「この声が段々と大きくなっていって、そこまで聞いたときに意識が飛んだから」
「そう……それじゃあ、もしその言葉が呪文だったとして、その……」
 オフェリアは、それを言葉にしかけたが、その時ある言葉が頭の角に引っ掛かった。
 
『まさか、ホントにアンジェリカを攫った魔物がいるなんて、信じてないんだろ?』
 
「……魔物なんて、いるわけないじゃない」
「え?」
 その時、オフェリアの瞳に光が煌めいた。
「いい、その魔物なんてものは迷信に決まっているの。そのメアリに語り掛けたのって風魔法を使ったものならば、窓硝子を割れた原因も説明が付くじゃない。その魔法を放った奴は、何かの拍子に魔法の力加減を間違えて窓硝子を割る程の衝撃派を放った。そう考えればね。それにもし、魔物がいるとすれば、それは……」
 オフェリアは、そこで言葉を切った。
 その瞳に宿した光が、鋭さを増す。
「それは、人の仕業よ。魔物という名前を語った、人間のね」
 その言葉を聞いたメアリの目が驚きで見開かれた。
「でも……もし、そうだったとしたら? その風の魔法を使った人って……?」
「私達が敵う相手じゃないってことは、確かよね。
 魔法力でも、技量の面でも。けれど……」
(魔力暴走じゃないかもしれない)
 オフェリアは、メアリには云わなかったが、その可能性に少し安堵していた。
 
(それに、魔物がいるとすれば……それは、私だもの。私は……その力を持っているのだから)
 
 オフェリアは、心の中でその言葉を噛み殺した。
「……けれど、考えても仕方ない事もあるわよね」
 そして、そう締めくくった。
 
 
To be continue
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