LIBERTY
TRABELERS
Episode2 第10話
解き放たれた翼
 
 
(それに、魔物がいるとすれば……それは、私だもの。私は……その力を持っているのだから)
 
 
 そこは、その時までは暖かな春の日差しで溢れていた。
 大きな湖の周りには色鮮やかな花たちが咲き乱れ、そこに息づく小さな虫や、動物達が散歩を楽しんでいた。
 だが、それが起こった時、咲き乱れていた花々は怯えるように蕾を閉じ、動物達はまるで死んだように眠りに落ちた。
 目の前にあるのは、静寂と、銀の世界。
 自分の手に降り積もる小さな雪の結晶の温度さえも感じることが出来なかった。
 その時オフェリアは、その天災が自分が引き起こした事さえわからずに、涙を流すことしか出来なかった。
 
「……兄さま?」
 
 オフェリアは、止めどなく流れる涙を拭くことさえ忘れて、目の前で放心したように自分を見ている兄に問いかけた。
「どうして……?」
 どうして、こんな事になってしまったの?
 そう、問いかけたかった。
 だが、それを言葉にする事が出来なかった。
 目の前の兄は、突然起きた季節外れの吹雪に巻き込まれ、そのせいか青い顔をして震えていた。
 オフェリアと同じ色をした漆黒の黒髪は、氷が張り付いて白く変わっている。その深い青をした瞳の色は揺れ動き、鼻先には薄い氷が張り付き、優しそうな笑みを浮かべていた形のいい唇は青く、血の色を失っていた。
 オフェリアは、ゆらりと立ち上がると、ふらついた足取りで兄の方に近づこうとした。
「ひ、ひぃぃっ!」
 すると、兄は小さな悲鳴を上げた。
 そして、何かに怯えたような目を前に向けた。
 兄の目の前に立っているのは、オフェリア一人だった。
「……兄さま?」
 オフェリアは、兄の尋常でない怯え様に戸惑った。
 何がどうなっているのかわからないまま、恐る恐る兄の混乱した瞳の色を覗き込む。
 
「バ・ケ・モ・ノ」
 
「……えっ?」
 
 兄の唇は、ゆっくりとその言葉を吐き出した。
「……呪われてる。オマエは呪われてるんだ! オマエのせいで一族は滅びるんだ! オマエの呪われたその力のせいで、僕達の一族は滅びるんだぞ!」
「何、いってるの?」
 兄は、訳が分からずそう尋ねるオフェリアを睨んだ。
「知らないなら教えてやるよ。オマエは、レイク家の高貴な血の中で生まれ出てきた、唯一の汚らわしいバケモノなんだよ! 魔法能力者というな!」
「マホウノウリョクシャ?」
 それは、初めて耳にする言葉だった。
「そうだ、オフェリア! オマエが生まれてきたのは、一族の間違いなんだよ!」
 兄は、憎々しげな冷たい笑みを浮かべ、オフェリアにそう吐き捨てた。
「……間違い?」
 オフェリアは、その言葉の意味を理解出来なかった。
 それは、冷たい雪の感触さへも感じられない程に。
 
 その日、オフェリアの見る世界は変わった。
 
 日が陰る頃、二人は兄を捜しに来た教育係が発見した。
 その教育係は、その二人を中心に広がった季節外れの雪景色を目の前にすると、直ぐさま兄の傍に駆け寄った。
 そして、兄の無事を確認すると、オフェリアを射抜くような眼差しで見た。
 その目は、鋭い刃の様にぎらぎらと鈍い光を放った。
 それはまるで、オフェリア自身を何か恐ろしい物を見るような鋭さを放っていた。
「……ねえ?」
 オフェリアは、蒼白の顔をしたその人に構わず尋ねた。
「……バケモノって……何なの?」
 そう尋ねた声音は、震えていたが尋ねずにはいられなかったから。
 
 
 その日の内に、そこで起きた事件は屋敷中に拡がった。
 そして、屋敷中のオフェリアに対する態度が豹変した。
 誰もが、オフェリアを怯えるような眼差しを向けた。
 表面上は皆、普通に接してくれる。だが、その態度は何かよそよそしく、機械的だった。
 皆、誰もがオフェリアを腫れ物を扱う様に接していた。
 初めは、何が何だかわからくて、不安に駆られた。
 だが、次第に屋敷中が何に対して怯えているのか、その見当が付いた。
 それは、オフェリアに生まれついてある不思議な力のせいだった。
 その名を、魔法能力。
 オフェリア自身、その呼び名すら知らなかったが、この力が祖父に嫌われている原因である事は知っていた。
 父と、母は、この不思議な力を真剣な顔で決して使ってはならないとオフェリアに言い含めていた。
 この時になって、オフェリアはその意味を知った。
 その力を使ってしまった結果、屋敷中に恐れられた。
 
『バ・ケ・モ・ノ』
 
 兄が、怪物でも見るような顔をして怯えていてそういいったのが頭から離れない。
 
『オマエが生まれてきたのは、一族の間違いなんだよ!』
 
(一族の……間違い? 私が生まれてきたことが?)
 
『あのね、姉様は決してバケモノなんかじゃなよ。だって、マリィの姉様なんだから!』
 
 誰もがオフェリアのことをバケモノだと忌み嫌い、恐れる中、たった一人の妹はそう無邪気に笑いかけた。
 その微笑みは、あの日から凍り付いて震えていたオフェリアの心を温めた。
 その妹、マリベルは、生まれた頃から体が弱く、ほとんどの日を部屋の中で過ごしていた。
 オフェリアは、次第にマリベルの部屋で過ごす日々が多くなっていった。
 マリベルは、オフェリアを拒もうとはしなかった。
 むしろ、オフェリアに刺々しい視線を送る世話係に機嫌を損ね、その世話係を部屋から追い出した。
  そして、マリベルはオフェリアに笑いかける。
 その笑顔が、オフェリアを救った。
 この妹の微笑みさえあれば、どんな仕打ちにも耐えていけると思える程に。
 
 だが、それがあまりにも儚い思いなのだと思い知る日は、突然やって来た。
 
 目の前であれだけ強い瞳をして、気丈に笑っていた妹は、額に冷たい汗を止めどなく流し、激しく息が荒いかった。ベッドに横たわり、縮こまったその体と、その顔は苦痛に歪んでいる。
 マリベルは、発作を起こした。
 オフェリアは、苦しげにベッドに横たわり、激しく息をするマリベルの横で一晩中付き添った。
 
(どうして、この子がこんな目に合うの?)
 オフェリアは、やっと落ち着いたマリベルの寝顔を見つめた。
 いつも、こんな持病の陰さえも微塵も見せず、笑っている妹が、今、こんなにも弱々しい。
「どうして、マリィがこんな目に合うの? どうして……バケモノの私が生きていなくちゃいけなくて……どうして、マリィみたいな子がこんな目に?」
 オフェリアは、マリベルのやっと安らいだ寝顔を見ながら、そう呟いた。
 そう言葉にしたとたん、目から涙が溢れ出た。
「……そんなの、あんまりよ。私の命、あげてもいいから、マリィを助けて! 私はどうなってもいいから、マリィをこんな苦しい目に合わせないで! お願いだから……お願いだから!」
 オフェリアは、ベッドに顔を埋め、声を殺して泣いた。
 ただ、理不尽だと思った。
 バケモノだと忌み嫌われる自分は五体満足に生きていて、こんなに誰もかもから愛される子が苦しんでいる。
 どうして、一族の間違いである自分が罰せられなくて、こんな優しい子が命を縮めなくてはいけないのだろう。
「マリィが苦しまないですむなら……私、なんだってやる! 死んでもかまわないから! だから……」
 オフェリアは、心の底からそう祈らずにはいられない。
 
「……ダメよ、姉さま」
 
 その時、小さな声がオフェリアを呼んだ。
 オフェリアは、ゆっくりとベッドから顔を上げて、その声の主を見定めた。
「……マリィ、起きてたの?」
 マリベルは、オフェリアの問いかけにこくんと頷いた。
「気分どう? 苦しくない?」
「うん、苦しくない……だけど、苦しいよ」
 マリベルは、そう言って優れない表情をした。
「何処が苦しいの?」
 そう問いかけたオフェリアに、マリベルは黙って首を横に振った。
「何処も苦しくないよ……苦しいのは、姉さまが死んでもいいなんていったから。そういったから……苦しいの」
「何……いってるの?」
 マリベルの顔は、悲しそうに曇った。
「死ぬ……なんて、簡単に言っちゃダメなんだから。本当にそう思ってるなら、姉さまはマリィの事、バカにしてるよ」
「そんなこと……」
「姉さまは、何も分かってないよ」
 そんなことはないと言いかけたオフェリアの言葉は、その凛とした妹の言葉に掻き消された。
「死ぬかもしれないって事が……どんなに怖くて、恐ろしい事か、わからないからそんな事が言えるんだよ」
 マリベルは、ベッドから上半身を起こし、オフェリアの手を両手で握った。
「姉さま、マリィはね、ずっとこんな調子だから、みんなに迷惑を掛けてるの。でも、みんなはこんな迷惑ばっかり掛けてるマリィでも、頑張れっていってくれるの」
 マリベルは、オフェリアに強い意志を宿した眼差しを向ける。
「マリィはね、ずっと発作起こす度に、みんなにゴメンナサイって心の中で謝ってきたの。マリィがこんな体で生まれてきたから、回りに迷惑ばっかりかけて、心配ばっかりさせてるから。マリィが発作起こす度に、みんなに苦しそうな顔をするから……だから、ゴメンナサイって」
「それは、マリィが悪いわけじゃ……」
「それじゃ、誰が悪いの?」
 マリベルは、真剣な顔をしてオフェリアに問いかけた。
「それは……?」
 オフェリアは、言葉に詰まった。
「悪いのはマリィじゃなかったら、一体誰が悪いの?」
「それは……私が……」
「姉さまが悪いんじゃないよ! それは……きっと、誰も最初から悪くないんだよ」
「えっ?」
 オフェリアは、その意外な言葉に伏せがちになっていた顔を上げた。
 顔を上げて目に映ったのは、妹の優しい笑みだった。
「マリィはね、こんなに迷惑掛けても頑張ってねっていってくれる人がいるから……その日が来るまで、精一杯頑張ろうって決めてるの。だけど、さっきの姉さまの気持ちは受け取れないよ」
「どうして……?」
「ねぇ、姉さま? 姉さまは、あの木の向こうに何があるか知ってるの?」
「あの木?」
 ある日、マリベルは、そこから見える一本の木に目を向けた。
 マリベルは、窓硝子に片手を張り付けた。
 その横顔を哀しげな色で曇らせて。
「……姉さま、マリィはね、こんな体だからあまり遠くに出掛ける事が出来ないのよ。でも、もし、あの木の向こうまで走っていくことが出来たら……なんて、そんな事を考えるの」
 マリベルは、そういって哀しそうに笑う。
「それは我が儘だってわかってるの。でも、マリィはね、あの木の向こうにあるものを知りたいって、どうしようもなく思うの。あの鳥のように」
 マリベルの視線は、空を舞う一羽の鳥に注がれる。
「あの鳥のように翼があれば、何処までも向こう側にある景色を知る事が出来るのにね。だけど……マリィにはあの翼はないの」
 その鳥は、そこにある木を易々と越えて向こう側へ飛んでいく。
「けど、姉さまには、あの鳥を追い掛ける力があるの」
「マリィ?」
 オフェリアは、気が付いた。
 マリベルの瞳に映っているのは、憂いの色ではない。
 そこに映っているのは、太陽のような強い光の色。
「マリィはね、姉さまがマリィの姉さまで良かったって思ってるんだ。だって、姉さまには翼があるんだから」
「翼?」
「だって、そうでしょう? 姉さまは水の上を立って歩けるじゃない!」
「あれは……」
 それは、まだその力に疑問さえ持たなかった頃に身に付いた能力だった。それをマリベルに見せたことがある。
「マリィは、姉さまのことが大好きだから。姉さまのこと、バケモノなんて思った事、一度だってないから。マリィは、姉さまと一緒に生きていたいよ!」
 マリベルは、オフェリアの手を力を込めて握ってきた。
 その自分と同じ色をした目に涙を浮かべて。
「一緒に……生きて?」
「うん」
 マリベルは、力強く頷いた。
 オフェリアは、その瞬間、マリベルの手を握り返した。
「……姉さまは、笑ってる方がいいよ」
「え?」
 その時、オフェリアは、自分が知らぬうちに笑っていた事に気が付いた。
「……マリィ、ちょっと待っててくれる?」
 そして、今度は心の底からの笑顔をマリベルに向ける。
「うん!」
 マリベルも、心からの笑顔でそう答えた。
 オフェリアは、それを確認すると、大急ぎで部屋を飛び出した。
 
 体が、まるで空気のように軽い。
 オフェリアは、その軽い体で風を切って走った。
 もし、自分に翼があるとすれば、何処まで飛んでいけるだろう。
 きっと、何処までも飛んでいける。
 あの優しい妹が、この不思議な翼を好きだといってくれている限り、何処へだって飛んでいける。
 オフェリアは、走った。
 あの木の向こう側に咲いている花の所へ。
 そして、妹が知らない世界をその翼で駆けぬける。
 たった一人の妹に、その花を見せるために。
 
 その翼は、この時初めて大きく羽を拡げて風を切った。
 まだ見ぬ天を駆けるために。
 
 
To be continue
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