LIBERTY
TRABELERS
Episode2 第11話
赤いドレス
 
 
 その部屋を、まるで風をその見に纏ったような軽い足取りで飛び出したオフェリアは、春先のつむじ風が走るように、そのまま長い廊下を加速する。
 途中、何人かの使用人にとすれ違ったが、それにも気を止めずに構わず走り抜けた。
 彼等は皆、オフェリアの顔をみるなり、怪訝そうな表情をして首を傾げた。
「お嬢様、何処へ!」
「お庭よ! お花を摘みに行くだけよ」
「いけません、今は……!」
「お待ち下さい、お嬢様!」
「ダメよ、待ってられないの! マリィが待ってるから」
 オフェリアは、大きな大人達の脇をすり抜けていく。
 廊下を突き当たると、そこは大きな吹き抜けになっていて、その正面にある扉が外庭と繋がっている。
 オフェリアは、勢いよくその大きな扉を押し開けて外へ飛び出した。
 すると、オフェリアの視界は白く輝く。
 温かな春の日差しは、外へ飛び出して来たオフェリアを柔らかく包み込み歓迎した。
 そして、白い光が開けた先には、大きな緑の庭が広がっていた。
 そのオフェリアの両手を幾つ拡げても収まらない程広い庭も春の日差しを受けて輝いていた。
 鳥たちの楽しそうに唱う声が聞こえてくる。
 花の香りが風に乗って運ばれてくる。
 オフェリアは、その風に乗って運ばれてきた花の香りを胸一杯に吸い込んだ。
 その時、風はその声も運んできた。
 
「君が、オフェリア姫かい?」
 
 オフェリアは、声のした方に視線を向けた。
 オフェリアの立っている位置から、外側へ向けて扇状に下へ伸びた階段に、見知らぬ誰かが立っている。
 後ろで束ねた雪の様に白く、銀色に近い髪が陽の光に輝いた。その紫の色をした瞳が、まるで水晶の様に透明な光を放ち、細められる。
(綺麗な人)
 オフェリアは、その美しい男の人の姿に、心を奪われた。一瞬、呼吸が出来ないような感覚に襲われる。
「……誰?」
 オフェリアの口から発せられたのは、その言葉だった。
「僕かい? 僕は君を迎えに来たのさ」
 その男は、両手を左右いっぱいに拡げ、笑って見せた。
「迎え? 迎えって、一体何処からの?」
 オフェリアがそう尋ねようとした時、別の声が飛んだ。
 
「其奴から離れよ! オフェリア!」
 
「お祖父さま?!」
 オフェリアは、反射的にその声の方へ目を向けた。
 その庭に続く階段の中程に、よく知った人物がいた。
 その背の高い老人は、きちんと揃えられた白髪に、オフェリアと同じ色をした切れ長の目、鼻筋はすらっと真っ直ぐに通り、口元には年相応の皺が刻まれている。
 それは、オフェリアの祖父だった。
 祖父は、その背筋をしゃんと正された姿勢で、手に握りしめた杖の先をオフェリアに向ける。
「引っ込んでおれ! 誰が出てきてよいといった!」
 オフェリアは、その祖父の憤慨した姿にビクリとする。
 祖父は、レイク家の現党首で、このレイク家の中でこの祖父の言葉は絶対だった。
 それでなくても、祖父は、昔からオフェリアを毛嫌いしている。もし、逆らおうものなら、後でどんなお仕置きが待っているか、それは考えるだけでも恐ろしい。
「引っ込んでおれと言っている! わからんのかっ!」
「は、はい」
 オフェリアは、祖父の怒りの籠もった声に竦み上がる。
 そして、屋敷の中に戻ろうとした。
「ヤレヤレ、御老人はこれだから気が短くていけない」
 だが、その時、その男は、わざとらしい声を上げた。
「何じゃと?」
 祖父の瞳に、さらなる怒りの色が燃える。
 その瞬間、その場にいた者達はその男以外凍り付いた。
 男は、クスリと笑うとこう言った。
「小さくても、姫は一人のレディではありませんか。もうちょっと優しく出来ないものですかね?」
 からかうような口調でそういうと、男はオフェリアの方に向けて片手を差し出した。
 オフェリアは、その男の目が鋭い光見たように思った。
 
『さあ、おいで』
 
 男が、よく透る声でそう言い放った刹那、オフェリアの周りに強い風が巻き起こった。
(え?)
 オフェリアは、その突然巻起こった圧風にバランスを崩し、前のめりに倒れこんだ。
「お嬢様!」
「きゃあああっ!」
 その場にいた者達の間から悲鳴が上がる。
 オフェリアの体は、下へ続く階段の方へ飛び出す。
 そして、風に煽られるまま宙を舞った。
 誰もが、そのまま真っ逆様に地面へ落ちると思った。
 だが、それは違った。
 オフェリアの体は、フワリと宙を舞うと、その不敵な微笑みを浮かべた男へ向けて飛んでいった。
 男は、空から舞い降りてきたオフェリアを、両手で優しく受け止めた。
「恐くはなかったかい、姫君?」
「・・・・・・」
 男は、そういって優しい笑みを作ってみせた。
「……空を、飛んだわ」
 オフェリアは、今の体験を素直にそのまま言葉にした。
「まるで……背中に羽が生えたみたい」
「そうか、それじゃあ君は天使なんだ、オフェリア姫。そして、僕もね」
 オフェリアは、男の綺麗な紫の瞳に魅入った。
「天使? あなたが?」
「そうだよ、姫君。そういえば、自己紹介がまだだった。僕はエリッヒ・ラ・シルヴァ。君と同じ力を持つ者さ。魔物の力と恐れられる、邪悪な力というやつをね」
 そういうと、男は皮肉を込めた表情を作って笑った。
 
「魔法能力者、なの?」
 
「そうだよ、ご名答」
 男は、そういってオフェリアの額にキスをした。
 
「おのれ! その汚らわしい手を離さぬか!」
 
 空気を切り裂くビュッという音が耳元で響く。
 その気配にハッとすると、そこには杖先をオフェリアに突き付けている祖父の姿があった。
 いや、祖父はオフェリアを抱きかかえている男に杖先を突き付けていた。
「レイク公、その矛先を下ろしては頂けませんか。姫君が恐がるではありませんか」
「何をぬけぬけと! この人攫いめが!」
「レイク公、それは人聞きが悪いというものですよ。僕は、ただオフェリア姫を預かり受けようとは考えていませんよ。その代わりに、もう一人の姫君を施設の整った病院へ入れて差し上げようと申しているのです」
「そんな条件は呑めぬ! 我がレイク家の誇りは何物にも代えられるものか!」
 祖父は、そう威厳を込めて言い放った。
 だが、エリッヒと名乗ったその男は微動だにしない。
「……姫君、席を外して頂けるかな? 僕は、君のお祖父様に大事なお話があるんだよ。いいかい?」
 そういうと、エリッヒはオフェリアを下へ降ろした。
 そして、祖父と真正面から向き合う。
 祖父は、そのエリッヒの姿に眉を潜めた。
 
「……ねえ、病院ってどういうこと?」
 
 だが、向かい合っていた二人は、その一言を発した少女に目を向けた。
「……ねえ、もう一人の姫君って、マリベルのこと?」
 オフェリアは、不安そうにその二人の大人を見上げる。
「どういうこと? 病院って……マリィはそんなに!」
 荒たげた言葉のその後が続かない。
「……そんなの嫌よ! 死んでも嫌!」
 最も恐れていた可能性が頭を掠め、体中が冷たくなる。
「おまえは下がっていろ! そういったであろう!」
 祖父は、エリッヒに杖を突き付けたまま、オフェリアにそう言い放った。
「……優しい姫君だ。オフェリア姫、その妹姫の事が大事かい?」
「大事よ! あの子にもしもの事があったら、私……!」
 そのエリッヒの問いかけに、オフェリアは食い付いた。
 その瞳を烈火のごとく燃やして。
「そうかい……なら、話は早いね」
 エリッヒは、オフェリアの様子を確認すると、こう切り出した。
「僕は、君の素晴らしい力を求めてやって来たんだよ」
「力? 素晴らしい力って?」
「アレは汚らわしい力だ!」
 祖父の声に怒気が入る。
 そして、その目にはよく知った感情の光が走った。
 オフェリアは、その目の光を見て、それを悟った。
 
「オフェリア姫、君は……魔力暴走を引き起こしたね?」
 
 オフェリアの頭に、恐怖に歪んだ兄の顔が浮かぶ。
「あなた……何なの? 私の……あの恐ろしい力と、妹の病気って、何の関係があるの?」
 オフェリアは、不安で押し潰されそうな胸を押さえ、背の高いエリッヒを見上げる。
 それを見たエリッヒは、クスリと笑った。
「ほう、やはり貴女でしたか。ここ最近の間に魔力感知計の針が高い数値を示したから、もしやと思ったんだ。君は、もしかすると……もしかするかもしれないね?」
 
「黙れ!」
 
 その時、祖父の杖の先が、鋭い音を立てて唸った。
 祖父は、エリッヒの喉元に杖先を突き付けていた。
「我が名門レイク家からは、人質など一切出さん! それが例え、魔性の子であったとしてもな!」
「魔性の子? 何を思い違いをしているのですか? 我々、魔法能力者は、この天から授かった素晴らしい力を称えられる事はあっても、蔑まれる事はないさ!」
「魔性の者のいうことなど、聞く耳もてるか!」
「ほう……そうですか!」
 その時、エリッヒの表情が敵意を含んで険しくなった。
 その瞬間、祖父がエリッヒに突き付けていた杖が、赤い炎を上げて燃えあがった。
 驚いて杖から手を離した祖父の顔を見て、エリッヒは勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
 
「やめて!」
 
 オフェリアは、二人に向かってそう叫んだ。
「もう……やめて」
 そして、両手に拳を握りしめ、エリッヒを睨み付けた。
「あなたは、私のこの力をどうして欲しがるの? 人質というのはどういうこと? 戦争でも起こるの?」
 オフェリアは、この国が一度戦争を起こせば、国に忠誠を誓う貴族の証として、レイク家の人間は人質として出向かなければならないという事を聞かされていた。
「例え、私を人質に取ったとしても、百害あって一利無しなんじゃないかしら? だって、私は……!」
 
「魔性の子、なんだから。そういいたいのかい?」
 
「・・・・・・」
「どうやら、君は大きな勘違いをしているようだね」
 エリッヒは、黙り込んだオフェリアを見て目を細めた。
「いいかい、この家は、君の様な素晴らしい力を持った人間がいるには相応しくない。僕は、君に相応しい場所を提供しにやって来たのさ」
「どういうことかしら?」
「確かに、君は名門レイク家のお嬢様だ。だけど、君はその素晴らしい力を持って生まれてきた」
「あの力が、素晴らしい?」
「そうさ、魔力暴走を起こしたのは君が君自身の制御する力が足りなかったからだ。僕は、君にその制御する方法を教える事が出来る。どうだい、興味はあるかい?」
「騙されるでない! 其奴は、我らにいう事をきかせるために人質を欲しているだけなのだ! おまえは、このレイク家の誇りに泥を塗るつもりか!」
「その誇りのために、貴公は末妹姫を見捨てると?」
 エリッヒのその言葉に、オフェリアは驚きのあまり祖父の方を見た。
「私は、貴公にオフェリア姫を譲り渡して頂く代わりに、マリベル姫を設備の整った病院に入れて差し上げようと申し上げました。これは悪い条件ではないでしょう」
「しかし! それは代々続いたレイク家の誇りに傷を付けるという事だ。おまえのような奴に、我が一族の者を差し出すなど出来るわけなかろう!」
「どうして?」
 オフェリアは、その祖父の言葉に怒りを抱いた。
「お祖父さまは、マリベルよりレイク家の誇りの方が大事だっていうの? どうして!」
「我ら一族が背負っている誇りというものは……そんなことぐらいで揺らいではならんのだ」
「そんなこと? マリベルを救う事より大事な誇りって、一体何なの!」
 オフェリアは、祖父に怒りを込めた目を向けた。
 
「……そんな誇り、私は認めない!」
 
 そして、冷酷な色をした目で見下ろす祖父に、そう言い放った。
 
 
 そしてこの日、オフェリアはレイク家を出て行った。
 
「よく決心したね。だけど、必ず君なら僕の誘いに乗ってくれると確信していたよ」
「……大した自信ね」
「さっきも言っただろう、僕は風に導かれてここへ来た」
「……その気紛れな風が、よく私まで辿り着けたわね」
「簡単な事だよ。運命の歯車は、もう回り出したのさ」
「運命なんて……私は信じない」
「それは、妹姫のためにも?」
「そうよ! あなたも私の事、バカだって笑うの?」
「いいや、姫君を笑ったりはしないさ」
「.……もう、姫君なんて呼ばなくてもいいわよ。私は、あなたの人質なんでしょう? それに……」
「それに?」
「……何でもない」
 
『魔性の者のいうことなど、聞く耳もてるか!』
 
 あの時、祖父の言い放った言葉が、鋭い刺になってオフェリアの胸を突き刺した。
 オフェリアはこの時、祖父に気に入られようとする事をやめた。
「そうだった、今日は君と初めて逢える日を記念して、贈り物をしようと思ってたんだ。受け取ってくれるね?」
 
 エリッヒはそういうと、オフェリアに包みを渡した。
 オフェリアは、そのリボンで包装された箱を開けた。
 すると、そこには真っ赤なドレスが入っていた。



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