「オフェリア、アンが帰ってこなかった日、何があったの? あの日から何か変だよ」
「そんなことない」
オフェリアは、メアリから顔を逸らす。
「でも、それでいいのかもしれない。アンみたいに、人をそう簡単に信じ過ぎるもの、どうかしら?」
「オフェリア?」
「私は、アンジェリカみたいにお人好しでも、お節介でもないわね。だから……私の事はあんまり信じ過ぎない方がいいかもしれないわよ?」
そう言ってメアリの方に向き直ったオフェリアの顔は、感情の色が失せていた。
「もう、行きましょう。これ以上、授業に遅れて何か言われるのもイヤだもの」
オフェリアは、そう言って、メアリに背中を向けて教室を出ていこうとする。
メアリは、たまらずオフェリアの片腕を掴んだ。
「それでも……それでも私は信じてるから! 私だけじゃなくて、ケインも、フウマだって!」
メアリは、行こうとするオフェリアの腕を両手で掴んだまま、真剣にオフェリアの顔を覗き込んだ。
「……バカね、ホントにお人好しのバカなんだから」
オフェリアは、メアリの真剣な顔を見て、少し笑った。
(だけど、一番愚かだったのは、一体誰なのかしらね?)
そして、その言葉を噛み殺し、自分の片手をメアリの背中に回すと、そのまま二人並んで歩き出した。
(そう……私は誓った。あの日、あの場所で。私は、あの子の手を今度こそ……掴んでみせる!)
この学園の『青の部屋』に捕らわれたアンジェリカを、必ずこの手で救い出そうと。
その雨雲は、黒く世界を染めていた。
雨は、その勢いを衰えさせることもなく、降り続く。
大陽の光は、暑い雨雲に阻まれ、その仮の教室を照らすのは魔電灯の人工的な光だった。
その教室の中では、アリス先生が皆を前にして、黒板に授業の内容を書き込んでいた。カタカタというチョークが黒板に当たる音が小気味よく響く。
「魔法能力者神選論とは何でしょう? オフェリアさん」
「魔法能力者は、神に選ばれた特別な人間であるという考え方です」
「正解よ。そして、この学校が創られたのは、その魔法能力者神選論を唱えている人なのよね。では、魔法能力者排除論とは何かしら?」
「魔法能力者は、この世に災いをもたらす者だという考え方です。だから、魔法能力者は危険で、この世から排除するべきと唱える人達の考え方です」
オフェリアは、その質問に淡々とそう答える。
「そうね、正解よ。そういう考え方を持っている人達もこの世界の中にいます。どちらの見方も偏っていて、一部の人の考え方だけど……みんなはこれをどう思う?」
アリス先生は、そういって皆に問い掛けた。
すると、ケインが手を挙げる。
「正直、オレは、神に選ばれたかどうかなんて考えたことない。それにオレは、オレ自身が特別だとも思ってない。だけど、この力は正義のためにあると信じてる。オレは、大切な人達を守るためにこの力を使いたい」
「だからって、無責任に人を巻き込んでいいのかな?」
そのケインの言葉に席を立ち上がった者が居た。
それはミシェイルはだった。
「おまえのその考え無しのせいで、立場が悪くなっているヤツだっているんだ。そうだろ、オフェリア姫さま?」
ミシェイルは、そういってオフェリアに視線を向ける。
すると、クラス全員の注目がオフェリアに向いた。
「それは……どういう意味かしら?」
オフェリアは、そのミシェイルの問いに、素知らぬ顔をして問い返した。
カラン カラン カラーン
その時、授業終了のベルの音が響いた。
「では、今日はここまでにしましょう。復習はちゃんとしておいてね。では、さようなら、みなさん」
アリス先生はのその言葉で、この日の授業は終わった。
オフェリアは、授業が終わると教室を後にした。
そして、ずんずんと廊下を早足で歩く。
「待てよ、オフェリア」
その声に振り向くと、そこにはケインと、メアリが立っていた。どうやら、オフェリアを追ってきたらしい。
「何かしら?」
「さっきの、どういう意味だよ?」
「さっき、て?」
「オレ、何かオフェリアに迷惑掛けてるのか?」
「……別に」
オフェリアは、変わらない表情をしてそう答える。
「掛けてるんだな」
すると、ケインは何かを納得したような顔をした。
「……別にって、いったでしょう」
「そんな顔してないだろ」
「そうだよ、オフェリア」
二人は、オフェリアの顔を心配そうにじっと見る。
「……お見通し、というわけかしら? そうね、何時までも隠し通すなんて……一つ、お願いを聞いてくれる?」
「いいよ、オレに出来ることなら」
「私に出来る事なら、何だって話して」
その二人の真剣さに、オフェリアは意を決した。
「私には……兄と体の弱い妹がいたの。兄は、とても優しい人だった。だけど……あの日から兄さまは変わってしまったの。私が……魔力暴走を起こしてしまったから」
オフェリアは、両手をかたく握り締めた。
脳裏に、その心の奥底に閉じこめていた記憶が蘇る。
『オマエさえ生まれてこなければ、僕がこんな惨めな思いをすることはなかったんだ!』
兄は、そう言葉を荒たげると、オフェリアを乱暴に突き飛ばした。そして、馬乗りになり、その圧倒的な力でオフェリアの胸を押さえつけた。
その時、オフェリアは豹変した兄の顔を見た。
その顔は、憎々しげにオフェリアを睨み付けていた。
その眼光は、野犬が獲物を狙っている時のような光を放ち、その口元は、まるで今の状況を楽しんでいる様な微笑みを浮かべていた。
(どうしてこんなことをするの? どうして、兄さまはそんなに怒っているの? 私が、兄さまに何か怒られるような事をしたの?)
ただ、心の中は、悲しみと、恐怖の色で染まっていた。
(どうして……わからない……ワカラナイヨ、兄さま!)
そして、オフェリアはその時、同時にこう願った。
(誰か、助けて……タスケテ、ダレカ!)
この直後、空気上の水蒸気の固まった、無数の小さな氷の粒が兄に向かって襲いかかった。
一時後、兄は全身を氷漬けにして放心していた。
「それから、私はこの力があるせいで、バケモノと周りから恐れられた。だけど……妹だけは、私にちゃんと接してくれた、笑顔をくれたの……私は、あの子を救いたかった……例え、他の全てを引き替えにしたとしても!」
それまで、淡々とその事実を語っていたオフェリアの瞳に、一瞬激しい感情の色が走る。
「だけど……出来なかった、何も」
だが、それは一瞬のことで、その湖のように深い青をした瞳は、深い悲しみの色を称えた。
「私がこの学園に連れてこられたのにはね、理由があるの。私は……人質なのよ。レイク公爵家、私のお祖父さまを押さえつけるための……私の場合は捨て石だけど」
「人質……って?」
ケインは、そのオフェリアの言葉を呆然と繰り返した。
「庶民の家ではどうだか知らないけど、貴族の間じゃ珍しくはないことよ。盟約の証として人質を取る事って」
「何だよ……その盟約って?」
ケインは、淡々と語るオフェリアに、そう問い掛ける。
「私の家、レイク公爵家は、ずっと魔法能力者を嫌ってきたの。だから最近、魔法能力者神選論を唱えて出てきたシルヴァと対立してた。だから、シルヴァは私に目を付けたみたい。魔法能力者政権排除を唱えていたリーダー格だったお祖父さまは、私の存在で立場がなくなった」
「それって……どういう?」
メアリは、オフェリアを真っ直ぐな視線で見つめ、そう聞いてきた。そのメアリ面持ちは、驚きと、不安と、緊張が入り交じり、強ばった。
「……お祖父さまは、私の存在を周りに隠したまま魔法能力者排除を唱えていて、それをシルヴァは突き止めたの。そうしたらどうなったと思う? お祖父さまの信用は地に落ちた。それが……レイク家衰退の真相」
その場を沈黙が支配する。ケインは無言で眉を潜めた。
だが、オフェリアは、構わず言葉を続ける。
「私は、お祖父さまを見捨てて、シルヴァと盟約を交わしたの……私がこの学園に入る見返りに、シルヴァはマリィの残り少ない命を繋ぎ止めるって。だから……私は正直まだ迷ってし……怖い。今からやろうとしている事が、シルヴァに対する裏切りになるんじゃないかって?」
そして、オフェリアは、今まで握り締めていた両手を、片方はケインに、もう片方をメアリに差し出した。
「だから……手を握っていてくれない? どんなに道標のない道を迷っても、どんなに暗い道を彷徨っても……前を向いていられるように。独りじゃないって信じられるように」
オフェリアは、その友達の言葉を思い返していた。
『精霊との繋がりは何時でもそこに在るんだよ。いつだって、精霊はオフィの事を見守っているんだよ。オフィの幸せを、いつだって願っているのに』
今なら、オフェリアは、アンジェリカいったその言葉の意味を理解出来る。
精霊達は、兄を傷付けようとしたのではない。その心の声に答えて、オフェリアを守ろうとしただけなのだと。
オフェリアは、その事実をずっと記憶の奥底に封じ込めていた。そうすれば、もし、あの時、自分の力が暴走しなければ、あの和やかなレイク家での日々がずっと続いていたと思い込む事が出来たから。
だが、それは違うのだと、やっと気付いた。
もしも、あの時、オフェリアの中で眠っていた力が発動しなければ、オフェリア自身はどうなっていただろう。
その考えに到った時、背筋が凍った。
「何を今更、当たり前の事いってんだよ」
突き出した手を、繋ぐ温かい手の感触がある。
「離したりなんかしないよ、どんな事があっても」
もう片方の手を、強く握る手の温もりがある。
そして、目の前にいる男の子は、真剣な顔をしてオフェリアにこういった。
「オフェリア! オレを信じて、着いて来い!」
オフェリアは、改めてケインの顔を凝視する。
そのケインの瞳には、一切の曇りも、迷いもなかった。
「……違うわよ」
そして、オフィリアは、二人の手を握り返す。
「オフェリアじゃなくて、オフィと呼んで」
そういうと、二人は驚いたようだった。
そして、戸惑ったようにお互いの顔を見合わせる。
「友達ってそう呼ぶもの、なんでしょう?」
オフェリアは、その二人の様子に不安を憶えた。
だが、勇気を振り絞って、そう言葉にした。
「あったり前だろ!」
「そうだよ! 私……オフィがそういってくれるの、ずっと待ってたよ……嬉しい」
すると二人は、それがさも当たり前のように、嬉しそうに笑った。
「まかせろって! オレがそのシルヴァって奴と、そのジジイをぶっ飛ばしてやる!」
「ジジイって? それ、まさかお祖父さまのことじゃ?」
「他に誰がいるんだよ? 魔法能力者なだけでオフィの事、そんな風に扱うようなヤツなんて、それで十分だ!」
そういうケインの眼差しは真剣だった。そして、本気で腹を立てているのが、ありありとわかる。
「……お祖父さまの事をそんな風に呼ぶ人って、初めて」
オフェリアは、そのケインの様子をポカンと見た。
そして、そこに何かが足りないと思い当たる。
「そういえば、フウマは?」
「フウマなら、アソコにいるよ」
「また?」
オフェリアは、少し呆れたように眉を潜める。
「よし、迎えに行ってくる。オレに任せとけって」
ケインはそういうと、一目散にそこへ向かって行った。
「この計画は、先生と、僕だけの秘密だからね」
「わかってるわ、誰にもいわないわよ」
そういって、ニーム先生は、フウマの背中を優しく撫でた。フウマは、ニーム先生に安堵の笑顔を向ける。
「うん、先生ならわかってくれるって信じてた」
「そう、よかったわ。それより……フウマくん」
「なあに、先生?」
「あーん、して」
「せ、先生?」
ニーム先生は、フウマの口元に飴玉を差し出した。
「あーん、して?」
「で、でも、ボクは」
「フウマくん、食べたくないの?」
フウマは、顔を赤らめて上目遣いでニーム先生を見た。
「フウマくん、好き嫌いしてると、大きくなれないわよ」
「そ、そういう問題かな?」
「はい、あーんして」
「あ、あーん」
フウマは、戸惑いながらも大きく口を開けた。
そこへ、ニーム先生は指先で掴んだ飴玉を放り込む。
「どう、オイシイ?」
「あ、甘いよ」
「そう……よーく味わって食べてね」
そういうと、ニーム先生は満足そうに微笑んだ。その笑顔を間近で目にしたフウマは、更に顔を赤くする。
その時、ケインが遠慮のない音を立てて、保健室の扉を開け、中へ飛び込んで来た。
「ニーム先生、フウマいる?」
「あら、ケインくん」
「ど、どどど、どうしたんだよ、ケイン?」
「何、慌ててるんだよ?」
「べ、別に、慌ててなんかないよ」
フウマは、両手を横に振り、目線を逸らした。
「そうか?」
ケインは、そんなフウマの様子を気に留める事もなく、フウマの腕を問答無用とばかりに掴んだ。
「そんな事より、早く行くぞ」
「行くって?」
「決まってるだろ。それじゃ、ニーム先生」
「ええ、さようなら」
ケインは、そういって挨拶代わりに片手を振ると、ニーム先生も、にこやかにそれに答えて片手を振った。
そして、ケインはフウマを半場強引に引っ張るようにして、保健室から出ていった。
「……そんなに子供がカワイイものか?」
その声に、ニーム先生は目線だけ向けた。
その目線の先には、カーテンで仕切られた場所があった。そのカーテンには人影が映っている。
「もちろん。カワイイし、大事よ」
ニーム先生は、そう朗らかに答えると、足を組んだ。
「だって、あの子達は私にとって……とっても貴重な実験材料ですもの」
ニーム先生は、そう呟くと、今まで優しそうな微笑みを崩した。代わりに、その口元は歪な笑みを浮かべる。
「よく、そんなエセ笑顔が続くものだな」
「あら、それはお互い様ではないの?」
「まあ、そうだな。それで、アレに一帯何をしたんだ?」
「アレって?」
ニーム先生は、その相手の言葉に反応するように、唇の端を上げた。そして、意味有り気な視線を送る。
「アレは、アレだ」
その声の方も、含んだような声音でそう返した。
「ただ、ネズミを一匹放っただけよ、少し餌を与えてね。面白い結果が期待出来るといいのだけれど」
そういったニーム先生からは、いつもの優しい表情は消え去っていた。その代わりに現れたのは、まるで狩を楽しむ獣のような、そんな狂気めいた表情だった。
To be continue |