「どうだ、学園生活ってやつに、少しは慣れたか?」
その男は、その少女に語り掛けた。
「うん、素敵な友達がいっぱい出来て、毎日が楽しいよ」
「そうか……よかったな」
「うん」
その少女は、目の前に広がるミールダウンヒルの街を楽しそうに眺めた。
「アンね、こんな高い所から街を見たの初めてだよ」
「そうか、どうだ、感想は?」
「うん、とっても素敵だよ。それで、ポツポツと見えるのって、家の明かりでしょう?」
「ああ」
「ウチの宿屋、あの辺りにあるんだよね?」
「そうだな」
「だよね、早く帰ってお母さんのパンケーキ食べたいな」
「そっか……アンは何があっても、変わらないな」
「そうかな? 背は少しは伸びたと思うよ?」
「そうか……そうだな」
その男は、優しく微笑むと、アンジェリカの頭をそっと撫でた。
アンジェリカは、嬉しそうな顔をする。
「やった! 頂上到着! オレってエラーイ!」
その時、その元気な声は聞こえてきた。
「ケイン、早く登ってよ。まだ後ろに二人いるんだよ」
「わるい、危うく忘れるとこだったよな」
「ケイン〜、それより早く上に行ってよ」
「ああ、わるいわるい」
会話を繰り広げてた二人が姿を現す。
「ケイン、フウマ、ゴールだよ」
その縄梯子を登ってきた二人の姿を見つけたアンジェリカは、彼等に駆け寄る。
「アン、出迎えゴクロウ」
「どういたしまして。ねえ、オフィと、メアリは?」
「もう直ぐ追い付いてくるはずだよ」
フウマが、アンジェリカにそう答える。そして、そのアンジェリカの後ろにいる男の姿を確認して、怪訝そうな顔をする。
「それより、そいつは誰だ?」
ケインも、不信そうにその男を睨んだ。
「おまえ達が、アンの友達か?」
「そうだ」
ケインは、その男を警戒するよにして、そう答える。
「そうか、初めまして。俺はチャムっていうんだ。今日は、みんなを迎えに来たんだよ」
「迎えって? それ、どういう意味だよ?」
「そのまんまの意味だ。別に俺は怪しい者じゃないよ」
「ケイン、チャムはね、アンの友達で、隊長なんだよ」
「た、隊長?」
「うん、チャムはみんなの隊長なの。ねえ?」
「ああ、その通りだ」
「話があまり……見えてこないのだけど?」
話の展開に付いていけてないフウマが、アンジェリカに更なる解説を求めた。
その時、縄梯子からメアリが姿を現す。
メアリの姿に気が付いたアンジェリカは、メアリに手を差し伸べる。
「メアリ、ゴールだよ」
メアリは、アンジェリカの手を掴んで上まで登る。
「アン、ありがとう……で、一体、何がどうなってるの?」
その異様な空気の張り詰めように気が付いたメアリは、アンジェリカにそれを尋ねる。
「ねえ、どうしたの?」
そこへ、一番後ろを上がってきたオフェリアが、縄梯子を登ってきた。
「オフィ、ゴールだよ」
アンジェリカは、オフェリアにも手を差し伸べる。
「・・・・・・」
だが、オフェリアは、その手を取ろうとはしなかった。
そのオフェリアの目線は、チャムに向いていた。
「……兄さま?」
そして、オフェリアは、小さくそう呟いた。
「オフィ?」
アンジェリカは、何かに魅入られるようにチャムを見ているオフェリアに声を掛ける。
「……チガウ、そんなハズない」
「オフィ、どうしたの?」
アンジェリカは、心配そうにオフェリアにもう一度声を掛けた。
すると、オフェリアは我に返ったようだった。
「ねえ、アン? あの方は誰?」
オフェリアは、アンジェリカにチャムの事を尋ねた。
「チャムっていってね、みんなの隊長なんだよ」
「隊長?」
オフェリアは、アンジェリカのあまりにも突拍子もない答え方に、ケインと同じくポカンとして戸惑った。
「初めまして、お嬢さん方」
するとチャムは、オフェリアと、メアリの前に進み出た。
「俺はチャム。今日は、君達にこの街を案内しようと思って、こうして迎えに来たんだ。これから、仲良くしてくれると嬉しいな」
そういって、チャムはオフェリアに手を差し伸べた。
オフェリアは、チャムの手を取ろうと手を伸ばした。
「・・・・・・」
だが、その手は途中で止まる。
パシンッ
そしてオフェリアは、チャムの差し出したその手を、思い切り叩いて振り払った。
「自分で上がれます」
オフェリアは、そういって縄梯子を自分の力で登りきると、澄ました顔をする。
「オフィ、どうしたの?」
そのオフェリアの様子に、アンジェリカは首を捻った。
「何が?」
オフェリアは、いつものツンとした表情を崩すことなく、そう問い返す。
「オフィは……チャムのこと、嫌い?」
「いきなり、何?」
「オフィは……そうやって、誰も好きになってくれないのかな、と思って?」
アンジェリカは、そういって寂しそうな表情をする。
「……そうね、キライよ」
だが、オフェリアは眉一つ動かすことなく、アンジェリカにそういった。
「馴れ馴れしい人は、みんなキライよ」
そのオフェリアの言葉に、周りは凍り付く。
「……そうやってオフィは、精霊の声すら聞こえない振りをするんだね。精霊は、オフィを助けたいだけなのに」
「精霊?」
「そうだよ、精霊との繋がりは何時でもそこに在るんだよ。いつだって、精霊はオフィの事を見守っているんだよ。オフィの幸せを、いつだって願っているのに」
「何の話?」
アンジェリカは、街の明かりがある方へ視線を向ける。
「……そうだよね、いつか、わかってくれるよね?」
「だから、何の話よ?」
「オフィも見て。これがね、アンの生まれた街で、ミールダウンヒルだよ」
アンジェリカは、オフェリア達が縄梯子を登ってきた方とは反対側にある景色を指差した。
「だから、アンは私に何がいいたいの?」
だが、オフェリアは先程の言葉の意味が気になった。
「いいよ、さっきのは、アンの単なる独り言だもん。それよりオフィ、これからアンの家に遊びに来てよ」
「アンのお家?」
「そうだよ、あのね、あの辺りにあるんだ」
アンジェリカは、街明かりが並ぶ一角を指し示した。
「もうそろそろ、みんな寝てしまう時間だから、少し急いで行こうか」
アンジェリカはそういうと、今まで登って生きた縄梯子を手元に手繰り寄せ始めた。
「それにしても、小さな光ね。ふうっと息を吹きかけたら、蝋燭の炎みたいに消えてしまいそう」
オフェリアは、その街の明かりの方に目を向ける。
「そうだよね、だけど、その光は、とても暖かくて、どんな強い風が吹いたって、消えたりしないものなんだよ」
「本当に?」
「そうだよ」
アンジェリカは、縄梯子を回収し終えると、オフェリアの前に立つ。
「そんなの……信じられない」
「オフィ?」
「どんなに強い光も、何時かは消えてしまうじゃない? だからこそ、私はそれを、どんなことをしてでも守ろうと決めたの。私にとって、あの光は全てだから」
オフェリアは、街の明かりを魅入るように見つめた。
「そっか……うん、そうだよね。アンにとっても、あの街の光は、とっても大事なものだから」
アンジェリカは、そういってオフェリアの傍らに立つ。
そして、オフェリアに嬉しそうな笑顔を向けた。
「あそこにはね、アンが帰ってくるのを待ってくれている人達がいっぱいいるの」
「いっぱい?」
「そうだよ、お父さんでしょう、お母さんでしょう、お向かいに住んでいるオジサンでしょう、オバサンでしょう、それから、犬のレオンでしょう、それからぁ……」
「どうして?」
オフェリアは、一つずつ指を折って楽しげに数えながら話し出したアンジェリカに、そう尋ねた。
「どうして、待ってるってわかるの? もしかしたら、帰りを待ってる人なんて、誰もいないかもしれないのに」
「そんなことないよ、絶対待っててくれてるもん」
アンジェリカは、真剣な顔をしてオフェリアにそういった。その目には、一点の曇りもない。
「……可哀相な子」
その時、オフェリアの横顔は、何か哀れな者を見るような眼差しに変わっていた。
「そうやって、勝手に期待して、裏切られればいいわね。人間は、魔法能力者を絶対に認めたりなんてしないもの。私達は……魔物、なのだから」
「魔物?」
アンジェリカは、オフェリアが口にしたその言葉を、もう一度繰り返した。
「そうよ! よく聞きなさい、可哀相なアンジェリカ! このまま家に帰っても、アナタの帰りを待っている人なんて、何処にもいないの! それが現実なのよ!」
「オフィ、どうしてそんな……?」
「オフィだなんて、馴れ馴れしく呼ばないで!」
オフェリアは、戸惑いながらも、そう問い掛けようとしたアンジェリカの声を遮った。
オフェリアは、そういってアンジェリカを睨み付ける。
「……いいわよ、わからないなら教えてあげる。私が、思い知らせてあげる! 私が、どんな正体をしてるかってことをね!」
そして、その怒りに満ちた形相は、その場にいる者全てをあざ笑うような冷笑に変わった。
「人間が、どれだけ薄情かってこと!」
その瞬間、その場の空気の温度がグンと下がった。
すると、空から白い光を放って輝いていた月は、その色を紅くを変色させる。
紅い光を放って輝く月は、オフェリアの姿を照らし出した。それは、オフェリアの黒い髪を紅い色に染める。
その場にいる者全てが、肌を刺すような冷気の感覚を忘れ、その光景に息を呑んだ。
『風よ』
オフェリアは、魔法力を込めた言葉を発する。
すると、オフェリアの周りに突風が起こり、それはオフェリアに向かって流れ出す。
風は、オフェリアの体をフワリと地面から持ち上げた。ゆっくりと、足が地面から離れ、体が宙に浮いていく。
「オフィ、こんな所で魔法を使っちゃダメ!」
「ウルサイ!」
オフェリアは冷気の風を呼び出し、それをアンジェリカに向けて放った。
その冷気の風をまともにくらったアンジェリカは、その圧風に煽られ、地面に叩き付けられる。
「アン?!」
それを見たメアリが、弾かれたようにしてアンジェリカに駆け寄る。
「邪魔しないで」
「オフェリア! 一体どうしたんだよ?」
フウマが、困惑しながらもそう叫ぶ。
「凍てつかせてあげるわよ、それが望みなら……そうすれば、痛みも、苦しみも、永久にないから」
「オフェリア! おまえ、一体全体何いってるのか全然わからねえ! いいたい事があるなら、もうちょっと率直にいえよな!」
ケインが、、キッとオフェリアを睨み付けて叫んだ。
その鋭い眼光には、怒りの色がみえる。
「あの街の時間を、永遠に止めてあげる。みんな落ちてしまえばいい……永遠の深い眠りの中に」
冷たく冷え切った空気は渦を巻き、オフェリアの周りを吹き荒れた。
オフェリアは、その風に乗って空高く舞い上がった。
「待てよ、逃げるな、オフェリア!」
ケインが、地表からオフェリアを呼び止めようと叫ぶ。
だが、オフェリアはその声を無視して、街の方へ向かって空を飛んでいく。
「あの娘は、何をするつもりなんだ?」
それまで、黙ってその状況を見ていたチャムがそう呟いた。その声にアンジェリカは、ハッと我に返った。
「大変! 大変だよ、チャム!」
「そうだな、これだけの凄まじい魔法力が放たれたんだ、魔力感知計が反応していないはずがないからな」
「なんだよ、その魔力ナントカ計って?」
ケインは、その初めて聞く言葉の意味を尋ねた。
「魔力感知計っていうのは、極めて強い魔力を見つけるために作られてた物で、今はこのミラーナ学園に集められてくる生徒達を発見するために使われているんだ」
「そんなもの、あったんだ?」
そのチャムの説明に、フウマが驚いたようだった。
「うん、アンもそれで見つかって、ここに連れてこられたんだ。だから、今はオフィが危ないんだよ!」
「どういうことなの?」
メアリが、張り詰めた顔をしてその意味を問い返す。
「ここは抜け出そうとしてる事がバレたかもしれない! それに、あのまま魔力を放出し続けたら……!」
その時、そのアンジェリカの言葉に全員が凍り付いた。
紅く染まった月明かりの下で、その少女は空を舞う。
その光で紅く染まったその体は、地上からは紅い人影が宙を横切るように見えていた。
その異常ともいえる冷気と、紅い月に気付いた人々は、その紅い陰に目が釘付けとなる。
そして、その人影が横切った後には、ドサリという重たい音が響いた。木に止まって眠っていた鳥達が、次々と地面に落下していく。だが、それは、鳥達だけに限った事ではなかった。
犬も、猫も、小動物達も、パタリと動かなくなった。
その両目は閉じられ、無防備にその場に転がっている。
まるで、死んでしまったように微動だにしない。
そして、暫くすると、一人、また一人と、街の人々は倒れていった。やはり、その両目は閉じられ、二度と目覚めない深い眠りに落ちたように、目覚めようとしない。
暫く街の上空を浮遊していたオフェリアは、街の中心に噴水があるのを見つけ、徐にその傍に降り立つ。
オフェリアは、噴水の水に触れようとした。だが、水はオフェリアが触れる前に、忽ちのうちに凍り付く。
その凍り付いた噴水の水をオフェリアは覗き込んだ。
そこには、紅い色に染まった自分自身の姿が映った。
「私は……魔物、なのだから」
その姿を目にしたオフェリアは、そう呟いた。
「うっふふふふふ、あっははははははははははははは!」
そして、狂ったように笑い続けた。
その瞬間、ミールダウンヒルの街は、突然の大吹雪に襲われた。 |