LIBERTY
TRABELERS
Episode2 第19話
甘い誘惑
 
 
「なんで、だよ?」
 
 そこに入っていたモノは、見覚えのある女の子だった。
 短く切り揃えた明るい色をしたブロンドの髪が、携帯ランプの光に照らされ、暗闇の中からその姿を現す。
 いつも、温かみのある優しい光を称えていた緑色の大きな瞳は、かたく閉じられていた。その小柄で華奢な少女は、その箱の中に寝かされている。
 ケインの後ろで息を呑む気配がする。
 その気配がした方に反射的に振り向くと、その場には、メアリが凍り付いたように立ちつくしていた。
「アン?」
 オフェリアは、その場に座り込み、そのアンジェリカが閉じこめられている箱を凝視する。
 そして、硝子張りになっている部分に手で振れた。
「どうして……こんな?」
「アン? なんで、どうしてこんな所で寝てるんだよ?」
 フウマも、その場に座り込み、その箱の硝子を叩く。
「ニーム先生……これ、どういう事なんだ?」
 ケインは、そこで固唾を呑むようにしてランプを掲げているニーム先生に、そう問い掛けた。
 
「美しいでしょう?」
 
「……えっ?」
 ケインの視線と、ニーム先生の視線がぶつかる。
 ケインは、その瞬間、ドキリとした。
 ニーム先生の瞳には、月光のような、冷たい光が沸き上がったように見えた。
 ケインは、ニーム先生のその眼光に射貫かれたような気がして、そう問い返すのに間を要した。
「この子はね、冬眠してるのよ」
「……ニーム先生?」
 フウマは、困惑したような顔をして、ニーム先生を見上げた。
「冬眠って?」
 メアリも、ゆっくりとアンジェリカの方に向けていた視線をニーム先生の方へ向けた。その顔は、怯えを含んだような、不安そうな表情になる。
「あら、授業で習っていないの?」
 ニーム先生は、楽しそうに口元を緩めた。
「冬眠というのは、動物が凍て付くような寒い冬の時期を乗り越えるために、自らを仮死状態にして、深い眠りに就く事をいうのよ」
「仮死……?」
 オフェリアは、その言葉を震えるような声音で呟いた。
「そうよ、生きているとも、死んでいるとも言えない状態で、この子の心臓は止まっているのよ。いいえ、正確には、とてもゆっくりと動いている、というべきかしら」
「それって、どっちなんだ? アンはだから……ええっと、つまり、ただ眠っているだけって事なんだよな?!」
「ええ。心臓は動いているんだから、そういう事よね」
 ケインの戸惑いを含んだ問いかけに、ニーム先生は涼しい顔をしてそう答えた。
 その言葉を聞いた瞬間、オフェリアは、両手の拳を握りしめ、力いっぱいアンジェリカが閉じこめられている箱の硝子窓の部分を叩き始めた。
「アン! ねえ、返事して、私の声、聞こえているんでしょう?! アンジェリカ……返事しなさいよ!」
 力いっぱい拳を振り上げて、オフェリアは硬い硝子を、叩いた。硝子は、ドンドンと鈍い音を立てて、その拳を阻むように跳ね返す。オフェリアは、ますます手を固く握りしめ、硬い硝子を叩く。
 だが、そのオフェリアの様子に、ニーム先生は不快そうに眉を潜めた。
「無駄よ、オフェリアさん。そんな事やっても、アナタの手が痛いだけよ。それに、装置が壊れたら、アンジェリカさんは本当に死んでしまうんだから」
「どういう意味?!」
 オフェリアは、ニーム先生の方を振り返り、ニーム先生を鋭い眼光で睨み付けた。
「この子の肉体は、長時間の間、低い温度で保ってあるの。それを急に温度差のある環境へ放り出してみなさい。忽ちのうちに身体が、その温度変調に耐えられなくなって、使い物にならなくなるんだから」
「そんな……ウソよ、そんなの!」
「ウソだなんて、失礼な子ね。その装置は、私の素晴らしい研究成果なのよ。エターナル・スリープっていうの」
「エターナル・スリープ?」
「そう、『永遠の眠り』という意味」
「永遠の……眠り?!」
「……流石にアナタは、敏い子よね」
 永遠の眠りという言葉に、オフェリアの顔が少しばかり強ばったのを、ニーム先生は見逃さなかった。
「そうよ、アナタは察しているとは思うけど、この装置に入った者は、生きながら、永遠に目覚める事のない眠りに落ちるの。即ち、それは……若い肉体を保った侭、永遠の命を得るということ……嗚呼、なんて甘美なの!」
 ニーム先生の口元からは、酔い痴れるような吐息が漏れた。ケイン達は、そんなニーム先生に釘付けになる。
「それはそうと……アナタ達は、この子探し出して、どうしたかったの?」
「決まっているじゃない。私達は、アンジェリカをあなたの魔の手から助け出しに来たのよ。アンを返して!」
「まあ、恐い顔して。怒ると、お肌のシワが増えるわよ」
「巫山戯ないで!」
「あら、私はいつも真剣よ。まあ、つまり、アナタ達はこの子を目覚めさせたいわけよね?」
「そうよ!」
「そう……そうなんだ」
 ニーム先生は、ニンマリと含みのある笑みを浮かべた。
「その方法、教えてあげましょうか?」
「……えっ?」
 そのニーム先生の意外な言葉に、オフェリアは一瞬、反応するのが遅れた。
「知りたくないの?」
 ニーム先生は、順々に周りにいる皆の顔を覗き込む。
「アナタ、一体何を……?」
「どうすればいいんだよ?」
 その時、ケインは口を挟んだ。
「どうやったら、アンをそこから出してやれんだよ?」
「よくぞ聞いてくれたわね、ケインくん」
 ニーム先生は、ケインの方に向き直った。
「で、どうすりゃいいんだ?」
「温めるのよ」
「温める?」
「そうよ、簡単でしょう」
 ニーム先生はそう答えると、ケインの手に、包装紙にくるまれた小さな物を1つ手渡した。
「これ、何だよ?」
「お手製キャンディーよ、私が作ったの。オイシイわよ」
「飴?」
「私、それ知ってるよ。私もよく食べるもん」
「そうよね。メアリは、たくさん嘗めているものね」
「うん」
 メアリは、そういって無邪気に微笑んだ。ニーム先生は、そのメアリの体を自分の方へ引き寄せた。そして、そのメアリの頭をニーム先生は、優しく撫でる。
「……それで?」
 だが、そのメアリの様子に、オフェリアは眉を潜めた。
「オフィ?」
「気安くメアリに触らないで!」
「あら、ヤキモチを焼いてるの? 繊細なお年頃なのね」
 オフェリアは、メアリの手を取ってを自分の方へ引き寄せると、背中の後ろへ隠すように移動させた。
「あまり独占欲が強いのも、考えものよね」
 そういって、ニーム先生は、含み笑いを漏らした。
「まあ、いいわ」
 ニーム先生は、再びケインの方へ向き直る。
「それはそうと、ケインくん、この入れ物の中に流れている魔法力の系統って、どういうものだかわかる?」
「系統? え〜っと?」
 ケインは、おもむろにアンジェリカが閉じこめられている入れ物に手で触れた。
「これは……水精霊の力、だよな」
「正解よ。まあ、魔法力のない私には感じ取る事が出来ないんだけど。ケインくんでも、理解出来るものなのね」
「どういう意味だよ、それ」
 むっとするケインに、すかさずオフェリアと、フウマの容赦ない突っ込みが入った。
「不勉強って意味でしょう」
「そうだよ。ケインはいつも宿題とか、ボクや、オフィに頼りっきりだもんね」
「わ、悪かったなぁ。で、どうすりゃいいんだよ?」
「この魔力を、打ち消してちょうだい」
「打ち消すって? どうやってだよ」
「その飴を使って」
「使うって……食べればいいのか?」
「そうよ。その飴はね、私が開発したの。食べると忽ちのうちに、膨大な魔法力を手に入れる事が出来るのよ」
「膨大な、魔法力? それって、どれくらいの?」
「この子の体を正常に戻して、余りあるくらいの力よ」
「だけど……その膨大な魔法力を得ると同時に、感情のコントロールが効かなくなるんでしょう? あの時の、私のように」
「えっ?」
 ケインは、思わずオフェリアの方へ目を向けた。
 オフェリアは、ニーム先生を睨み付けていた。
 その眼光は、ケインが今まで目にした事がないくらいの、まるで鋭利な硝子の破片のような光を放っている。
「オ、オフィ?」
「その飴を食べた直後に、私は自分の感情を……抑える事が出来なくなったのよ」
 オフェリアは、ケインが持っていたキャンディーを、目にも止まらぬ早さで奪い取った。そして、ニーム先生を睨み付け、その飴をニーム先生の方へ突き出した。
「アナタ、これに何を仕込んだの?」
「仕込むって?」
 この時、ニーム先生は、口元に微かな笑みを浮かべた
「……私が、初めてこの飴を嘗めたのは、1ヶ月程前の事だった。丁度、アンジェリカが消えた日の夜。みんな、その日に何があったか……覚えているわよね?」
「あたり前だろ!」
 ケインは頷いた。メアリも、フウマも顔を見合わせて、しっかりと頷く。
 そして、ケインの脳裏には、あの日の出来事が鮮明に甦った。ちょっとした冒険気分で出かけた月夜の探索が、不可解な事件に変わったのだ。
 一夜で友達が1人消え、オフェリアは、季節外れの零下の積雪の中で、意識不明の状態で発見された。
「じゃあ、メアリはその時、お菓子を沢山持っていて、私に飴玉を1つくれたの。覚えている?」
「う、うん」
「メアリ、あの飴は、ニーム先生に手渡された物よね?」
「えっ? どうしてわかったの」
 メアリは、大きな目を更に大きく見開いて驚いた。
「……やっぱり、私の思った通りだった。この飴が、事件の引き金を引いた。そういう事でしょう?」
「・・・・・・」
 オフェリアと、ニーム先生の間に緊張の糸が張り付く。
「ねえ……ケイン。昨日の夜のこと、覚えている?」
「昨日?」
「昨日の夜、また、私の魔力が暴走して、ちょっとした事件になったから。覚えているでしょう?」
「ああ……アレね」
 昨日、学園を抜け出した時、ケインは原因不明の火事に巻き込まれた。その時、フェリアは、意識を失った状態で、その火元付近に倒れていた
「その少し前に、私、チャムからもらった飴をアナタにあげたわよね?」
「ああ、確か……口の中に無理矢理突っ込まれたっけ」
 
『だって、ケインにはこの飴がとてもお似合いなんですもの? ねえ、ケ・イ・ン・君?』
『おい、ちょっと待てよ……』
『えい!』
 ケインの脳裏に昨日、無理矢理に特大の飴を口の中へねじこまれ、危うく窒息するところだった記憶が甦る。
 
「あの後ね、私も飴を口に入れたのよ」
「チャムからもらったやつか?」
 そのケインの問い掛けに、オフェリアは、首を横に振った。
「いいえ。私はあの時、アナタの嘗めた飴とは、違う飴を口に入れたの」
「えっ? おまえ、チャムからもらった飴、食ってなかったのかよ?」
「ええ。ケインが口に入れたのは、チャムからもらった物だったけど。だけど、私が口に入れたのは……メアリからもらった飴だった」
 ケインは、反射的にメアリの方へ視線を移した。
「オ、オフィ?」
 メアリは、怪訝そうにオフェリアへ声を掛ける。
「この学園に入って、私が魔力暴走を起こした時は決まって、メアリからもらった、飴を口に入れた後だったの」
「そ、そんな……まさか、そんなこと?」
「……残念だけど、それしか考えられないのよ。メアリ」
 そう言ってオフェリアは、メアリの視線をしっかりと受け止めた。そして、逆にメアリの目を見据え返す。
 メアリは、ゆっくりとニーム先生の方へ視線を傾けた。メアリの視線を受けて、ニーム先生は、唇を固く結ぶ。
「だ、だけど、私だって同じ飴なら、沢山嘗めているし……私は、魔力を暴走させた事なんて!」
「暴走させた事はなくても、魔物という幻覚を見た事は、あったでしょう?」
「ま……魔物?」
 その『魔物』という言葉に、メアリは身を硬くした。
「あったんでしょう?」
 オフェリアは、そんなメアリに、強い口調で問い返す。
「私も、あの時に、魔物の幻覚を見たの、アンが消えた日の夜に。その魔物は……兄さまの姿をしていた」
 その時、ケインは、オフェリアが自分に話してくれた、兄妹の話を思い出した。
「兄貴? それって、前に話してた?」
「……そうよ」
「兄貴の幻覚って……まさか、あの時か?!」
 それを察したケインに、オフェリアは、無言で頷いた。
 それは1ヶ月程前の出来事だ。アンジェリカの案内で、初めてこの学園の周りを囲っている塀を越えようとした時、ケイン達は、チャムという男に出会った。
 その時、オフェリアは、初めて出会ったチャムを見て、まるで夢にでも浮かされたような口調でこう呟いた。
 
『……兄さま?』
 
 この直後、オフェリアは、ケインには理解不能な、怪奇な行動を取った。オフェリアは、通常では考えられない程の魔法力を発揮し、ミールダウンヒルの街を凍り漬けにしたのだ。
 この時、ケインは、単にオフェリアは、暗がりでチャムと、自分の兄を見間違えたのだろうと思っていた。
 メアリの事に関しても、魔物という存在が、常にメアリが付け狙っているという解釈は出来る。だが、それをメアリが、飴を嘗めた事によって見ていた幻覚だとしたら、どうだろう?
 
「魔物は、最初から存在しなかった? その飴を食べると……みんな、気が変になる?」
 
「……違う」
「メ、メアリ?」
「魔物はいるの! 確かに、絶対、私の事を何処かへ連れて行こうとしているの。どうして、みんなにはわからないの?! ほら……靴音がするよ、やっぱり来た。魔物が……魔物が来たんだよ!!」
 メアリは、誰も居ないはずの、闇夜の空間を指さした。
「……時間ね。なかなかの余興だったわ」
「ニーム、先生?」 
 そう呟いたニーム先生の横顔は、ゾッとするくらいの狂喜を称えていた。




To be continue

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